精神保健医療福祉・文献メモ

新版 精神保健福祉援助技術〈1〉総論 (ベーシックシリーズソーシャルウェルフェア)

新版 精神保健福祉援助技術〈1〉総論 (ベーシックシリーズソーシャルウェルフェア)

基礎的な知識のために。

[rakuten:book:11506108:detail]
今読んでる入門的な本。

精神保健福祉士への道―人権と社会正義の確立を目指して

精神保健福祉士への道―人権と社会正義の確立を目指して

精神保健福祉士は、どのように問題の解決や改善を図っていくのか



保健医療ソーシャルワーク原論

保健医療ソーシャルワーク原論

テキストに指定されてた。
今度読もうと思う。

早く読みたい。

精神保健・医療・福祉の根本問題 (メンタルヘルス・ライブラリー)

精神保健・医療・福祉の根本問題 (メンタルヘルス・ライブラリー)

心理の国家資格の問題とか読んだっきりだ。
今度ちゃんと読んでおこう。

昨日のポストまとめ—読書、ボランティア、自傷等

①読書について等
_φ(・_・。本を読んだら要約と書評を書く。A4 1枚程度。
論の+点と−点、自分の関心テーマとの関連を書く。僕なら自傷や自殺とか。

_φ(・_・。本を読む時、訓練として時々で良いが、
①タイトルを見て内容を推測して書く。
②目次を見て章毎に内容を推測して書く。
ことをする。題や目次と全く異なる内容を書いてる本もある。

_φ(・_・。査読論文を読む。査読条件もチェックする。
論文の型を身につける。
社会老年学の査読が厳しいとか聞いたけど、どうなのだろう。

何を読んでも、自分の持つ関心に引きつけるって大事だなーと思うけど、
一日中自傷について考えてるのはよろしくない!


②ボランティアについて
日常生活の自立、経済的な自立、社会的自立。
経済的な支援だけでは、自立には繋がりにくい。
「自尊心の回復」が鍵だろう。そこにボランティアのあり方の1つがある。
生活保護→就労ではなく、生活保護→ボランティア→就労と中間にワンクッション置く。
自尊心を回復し、自らの力を意識する。

ボランティアは健康な人たちのものではない。
ボランティアへの参加は、自尊心が希薄になってしまったり、
自分の生きてる価値を見失ってしまった人が、ボランティアを通して、
自分の良いところ、力、他者への影響力などをポジティブに認識・獲得していくプロセスになりうる。

と思う


③なんかよく分からんけど、メモ
「分からない事を相談できる人」は強いと思う。
教授曰く、感覚的には相談してくれない人より、
何でも相談してくる人の方が地域生活は長くうまくいく、とのこと。

本人が他者に相談できるような力を身につけるために訓練し、
それと共に欠かすことが出来ないのは、相談しやすいサポート体制作り。

精神保健福祉法の第3条には国民の義務として、
「国民は、精神的健康の保持及び増進に努めるとともに、精神障害者に対する理解を深め、及び精神障害者がその障害を克服して社会復帰をし、自立と社会経済活動への参加をしようとする努力に対し、協力するように努めなければならない」
と規定されている。


自傷について
リストカット自傷行為) 、なぜするの? : Dr.北村の「性」の診察室 : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞) http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=51801&from=tb @yomidrさんから
「物の本によれば」の参考元の文献提示してほしいんだが

自傷アディクションになったあたりからだろうけど、
僕は、たまーに手首を銃で撃ち抜く夢を見る。

自傷行為については、それが「良いか悪いか」という議論は意味が無いと思う。
むしろ自傷者には悪影響だと僕自身も当事者として思う。
良いか悪いかという議論をして何になるのか。
親に悪い?勝手に生んだんだろ。
大切な体?何で大切なの。穢れてるよ。
痛いでしょ?切ったらすっきりするよ。
堂々巡り。

自傷者に対しての支援は、本人が自傷をやめたいと思うなどの動機が無いと難しいと思う。
恋人に泣かれた、家族の反応を見てやめたいと思った、切っても不快感情はどうにもならなくなった…など。

現在進行形で不快感情の軽減や自分への罰のために自傷している段階で、
どんなに働きかけても余計なお世話になりうるし、
むしろ本人のストレスになって悪化することにもなりうる。
そこで出来るのは、困ったときに相談できる場所の情報や知識の提供だけかも知れない。

アリシアクラーク, M. A(2005)『なぜ自分を傷つけるの?…リストカット症候群』大月書店

なぜ自分を傷つけるの?―リストカット症候群 (10代のセルフケア)

なぜ自分を傷つけるの?―リストカット症候群 (10代のセルフケア)

 援助の専門家である著者が、分かりやすく噛み砕いた言葉で自傷行為について書いている本。
専門用語などは、ほとんど見られらないため、誰でも読むことができると思う。

 自傷行為とは何か、そしてなぜ傷つけるのか、自傷行為の背景には何があり、
自傷することで何を引き起こすのか、どのような治療が必要であり、
また自分では何ができるのか、精神障害自傷の関連とは何か、
自傷している友達を助けるためにはどうすればいいか、について書かれている。

 第8章に、自傷している友達を助けるためにどうすればいいか、
何をしない方が良いかということが書かれているが、どれも妥当であるように思う。
Actを提唱しているアメリカの学校や研究者がいるが、
著者のリストは、acknowledgement, care, and tellと同様であると思った。
確認してないから、細部は分からないけど。
つまり、気づき、関わり、そして信頼できる大人や専門家につなぎ、友人としてサポートする
という一連の関わりである。

 分かりやすい言葉、短い紙幅、色々あると思うけど、少し記述に単純なところがあると思う。
あとは物足りないなーと…
きっとそれは研究者の視点の強い自傷に関する文献を読んできたからなのかな?と思った。


学校における自傷予防-『自傷のサイン』プログラム実施マニュアル

学校における自傷予防-『自傷のサイン』プログラム実施マニュアル

  • 作者: ダグラス・ジェイコブ,バレント・ウォルシュ,モイラ・マックデイド,シャロンピジョン,松本俊彦
  • 出版社/メーカー: 金剛出版
  • 発売日: 2010/12/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 2人 クリック: 6回
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『マンガ リストカット症候群から卒業したい人たちへ―ストップ・ザ・カッティング―』

マンガリストカット症候群から卒業したい人たちへ―ストップ・ザ・カッティング―

マンガリストカット症候群から卒業したい人たちへ―ストップ・ザ・カッティング―

 自傷者であった著者の経験や著者の知人の話などを漫画で描き、
精神科医のコメントとともに、自傷行為について書かれた本です。
内容は重いですが、分量は軽く1時間もかからずに読めます。
気になった点はいくつか。
ただ、これは専門書じゃないので、包括的に詳しく書かれているわけでもないので、
十分良い本だと思います。


 まず、リストカット症候群という臨床単位の使用について。
リストカット症候群は40年程前に臨床単位の存在を否定されています。
リストカットリスカの名を題に含む本は2000年代になっても
多く出版されていますが、それについても「ちょっとどうなの」と僕は思ってます。
その理由が二つ目に気になった事です。
リストカット」「リスカ」と言えば、それを知らない人はいない程に
言葉として広まっていると思いますが、それって何だか危険だと思います。
僕自身、最初の衝動的な自傷は手首を切ったのですが、
自傷リスカというように思っていました。
自傷行為と言えば、リストカットというような認識は、
最初の衝動的な自傷リスカを選んでしまう可能性を
高めるのではないかな、とか思ったりします。
実際はどうか、分かりませんが…。
動脈が皮膚から近いところにある手首を切るのは、腕を切るより危険だと思います。
自傷リスカという認識は、最初の衝動的な自傷リスカを選択することを
助長していたりはしないのかな、と思います。

 あとはそうですね…
著者が主婦だったり、女性であることとも関係があるのかもしれませんが
主題的に語られる自傷者は全て女性です。
唯一出てくるのは、病院で著者に「自傷を見せ」てきた男性患者のみです。
んー、自傷行為に性差は無いと言われていたりします。
病院に受診している自傷者は全体からすれば氷山の一角ですし、
司法関連施設にいる非行少年で自傷者、などの存在も分かってきています。
ある意味、女性の自傷者のケースのみ漫画として描かれているのは、
しょうがないのでしょうが、ふむ、そうかと思って読んでました。

 最後に、描かれている自傷者のケースがどれも結構深刻です。
第1章のBさんとかは傷自体は深刻ではありませんが、
著者は自傷の後遺症で腕がうまく動かないとか神経を傷つけたとか。
その人の抱える問題の深刻度と傷の程度は比例するわけじゃないですが、
傷が深刻な自傷者の話ばかり描くと、自傷者の間の傷の程度に関する階級のような意識に
作用しちゃって、今まで傷の程度が浅かった人が深く…のようにならんかなあ、
著者はかなり慎重に気分が悪くなったら読むのを中断して、と書いていますが、
読んでて「自分の傷なんて」と思う人とかいるかもなあ、とか思ってました。

自傷したくなった時に、どう対処しよう

自傷したい」という衝動が湧いてきた時、
ストレスを感じた時、
恥、罪悪感、悲嘆、怒り…そういう感情を経験した時、
どう対処しよう、ということを書こうかなと思います。


他の人は実際にどうか、というのは分かりませんが
いったん衝動が湧いてきて涙が溢れてしまうなどの状態になると
その状態で、自傷しないために今を切り抜ける方法を考える、というのは難しいと思います。
非合理な考えに支配され、「切りたい」が頭を巡ります。

自傷者への援助の1つとして、
自傷したくなったときにする行動をメモしておく」
というのがあります。


例えば、カードにこのような事を書くわけです。
・深呼吸をしてみる
・信頼出来る友人の電話番号
・ランニングなどの運動
・カラオケで声を出して発散する
・読書をして落ち着ける
・氷水に手をつける


切りたくなりそう、落ちこんできそう、そういう時に
早いうちにカードを見て試してみる、というわけです。

このような選択肢は自分に合うものがあると思います。
探してみてください。

深呼吸をする、呼吸法を身につけて試す、読書をする、音楽を聴く、
信頼出来る友人に電話して話す、
筋トレやランニングなど運動をする、カラオケで大声を出す、
冷水シャワーを浴びる、お風呂に入る、散歩をする、
輪ゴムで皮膚をぱちんとはじく、
赤いペンで皮膚を塗る(ボールペンは×)
など色々考えられます。

僕が自らの自傷を問題として捉えられていない理由と 「話なら聞くよ?」系の言葉について

togetterにありますが、一応こっちに載せておきます。
http://togetter.com/li/220706


 僕は正直言って、自傷を問題として捉えられていない。

 自傷行為が問題な理由として、例えばそれが不適切な対処行動だったり、根本的な問題解決にはならず一時的に苦痛を緩和するだけとか、将来の自殺リスクを高めるとか、友人関係を破綻させてしまう要因になりうるとか、色々あげることはできる。

 問題とは、「あるべき姿と実際の姿にズレがあり、誰かがそれを認識していること」であるとする。議論が起こる理由には、想定しているあるべき姿の違い、実際の姿を客観的に認識できていない、対処法の違いなどがあげられるだろう。

 僕が自らの自傷を問題として認識できないというのは、僕があるべき姿になりたい、と思えないからだと思う。

 自傷行為を問題として捉えたときに想定するあるべき姿は、適応的で適切な対処行動を取る事や、行動ではなく言語で援助を求める、つまり自傷によるのではなく言語で助けてくれと言う、などがあげることができるだろう。

 そして、実際の姿のままでは、自殺のリスクは高まり、心理的な苦痛は改善せず、根本的な問題解決にはならず…などその他諸々の危険があり、それを改善しなくては、健康的な生活が送れなかったり、将来の命の危険性などが懸念される。だから、自傷行為は問題であり、援助を受けるなどして、改善するべきなのだろう。

 しかし、別に死んだって良いじゃん、と思っている限り、あるべき姿と実際の姿のズレを僕が認識しているとしても、それはあくまで客観的に認識しているに過ぎなくて、僕がそうありたい、と臨んでいない。援助を受ける動機に欠ける。

 治療機関に行く自傷者は、精神疾患などを主訴にしての場合、傷を縫わなくてはならない場合、緊急の場合、自らがこのままではダメだと認識した場合などだろうと思う。最後のは、いわゆる底付き体験の後だろう。それは、自傷行為の効用、つまり不快感情の軽減などを実感できず、他者は助けてくれず、今のままでは死んでしまう、と生きるために自傷を始めたのに死に近づいて行ってると認識した場合など。基本的に、不快感情を軽減できている段階で、治療機関に行くことは稀だと思う。


 僕の一番の関心は、僕のような自傷者にどうやってアプローチしていけばいいんだろう、です。

大庭健『はじめての分析哲学』

はじめての分析哲学

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論理分析哲学 (講談社学術文庫)

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