僕が自らの自傷を問題として捉えられていない理由と 「話なら聞くよ?」系の言葉について

togetterにありますが、一応こっちに載せておきます。
http://togetter.com/li/220706


 僕は正直言って、自傷を問題として捉えられていない。

 自傷行為が問題な理由として、例えばそれが不適切な対処行動だったり、根本的な問題解決にはならず一時的に苦痛を緩和するだけとか、将来の自殺リスクを高めるとか、友人関係を破綻させてしまう要因になりうるとか、色々あげることはできる。

 問題とは、「あるべき姿と実際の姿にズレがあり、誰かがそれを認識していること」であるとする。議論が起こる理由には、想定しているあるべき姿の違い、実際の姿を客観的に認識できていない、対処法の違いなどがあげられるだろう。

 僕が自らの自傷を問題として認識できないというのは、僕があるべき姿になりたい、と思えないからだと思う。

 自傷行為を問題として捉えたときに想定するあるべき姿は、適応的で適切な対処行動を取る事や、行動ではなく言語で援助を求める、つまり自傷によるのではなく言語で助けてくれと言う、などがあげることができるだろう。

 そして、実際の姿のままでは、自殺のリスクは高まり、心理的な苦痛は改善せず、根本的な問題解決にはならず…などその他諸々の危険があり、それを改善しなくては、健康的な生活が送れなかったり、将来の命の危険性などが懸念される。だから、自傷行為は問題であり、援助を受けるなどして、改善するべきなのだろう。

 しかし、別に死んだって良いじゃん、と思っている限り、あるべき姿と実際の姿のズレを僕が認識しているとしても、それはあくまで客観的に認識しているに過ぎなくて、僕がそうありたい、と臨んでいない。援助を受ける動機に欠ける。

 治療機関に行く自傷者は、精神疾患などを主訴にしての場合、傷を縫わなくてはならない場合、緊急の場合、自らがこのままではダメだと認識した場合などだろうと思う。最後のは、いわゆる底付き体験の後だろう。それは、自傷行為の効用、つまり不快感情の軽減などを実感できず、他者は助けてくれず、今のままでは死んでしまう、と生きるために自傷を始めたのに死に近づいて行ってると認識した場合など。基本的に、不快感情を軽減できている段階で、治療機関に行くことは稀だと思う。


 僕の一番の関心は、僕のような自傷者にどうやってアプローチしていけばいいんだろう、です。