社会保障前史

新しい社会保障の設計

新しい社会保障の設計

社会保障前史】
社会保障は20世紀になってできたもの。

○ ①救貧法、②共済組織(相互扶助)、③慈善事業

 19世紀末、ブースやラウントリーによる貧困調査から貧困の原因は、個人の責任にあるではなく社会の構造的矛盾にあることは発見された。
→〈生存の権利性〉、〈解決の公的責任性〉の認識が生まれる。
その後、それぞれ次のように発展していく。
救貧法→公的扶助
②共済組織(相互扶助)→社会保険
③慈善事業→社会事業

〈本源的蓄積期とエリザベス救貧法
 イギリスでは、14世紀以降、羊毛産業が成立し羊毛の輸出増大を通して貨幣経済が浸透する。15世紀末には封建制社会は解体されていた。また、共同利用地や開放耕地が、エンクロージャームーブメントにより囲い込まれ、私有の牧場や大農場とする動きがあるのもこの時である。この囲い込み運動により生産手段・消費手段から切り離された大量の農民は、自由貧民となった。彼らは自らの労働力を売らなければ生活が出来ない賃金労働者となっていく。一方で、地主や工場経営者は一定量の貨幣が蓄積された。
 このような封建制社会と資本主義社会の端境期であり、資本(富)の蓄積と労働力の創出がされる時期を本源的蓄積期と呼ぶ。資本=生産手段、労働力=そこで働く者ということである。この2つが本源的蓄積期において蓄積され、資本主義へと移行していく。本源的蓄積期においては、生活手段をもたない自由貧民と資本家の出現がなされたということである。
 この時期、生産手段から切り離されて自由になった労働者は、貨幣経済の下、生活問題を抱えてもそれは自己責任とされた。よって多くの者が貧困に陥り、浮浪者は増加し社会不安は増大した。また1594〜98年にかけて寒冷などの異常気象により食糧難に陥り、貧民はますます増加した。このような貧民の増加と社会不安の増大に対して、イギリスは1601年にエリザベス救貧法を制定し、貧民救済と称して社会秩序維持・浮浪者取り締まりを行った。エリザベス救貧法の財源は救貧税(rate)であり、土地や財を所有している人に課せられる税金によって運用された。

〈定住地法が定められた理由〉
 救貧税(rate)が課されていた中産階級は、自己の利害にきわめて敏感であり救貧税の増加には反対していた。1662年に制定された定住地法は「居住地制限」の明文化であり、救済貧民資格という意味合いを持った。また、貧民資格の厳格化は救貧税増額の回避である。もし、定住地法を定めなければ、貧民は都市に流入してくるために、貧民は増え、それに応じて救貧税が増額してしまう。それに対処するための定住地法である。

〈ジョンロックの貧困観〉
 1696年、ウィリアムⅢ世は、内乱後の浮浪貧民の増加と救貧税増額への批判が大きくなったために、新たな貧民対策の必要性を観じ、ジョンロックに調査を依頼。ジョンロックは。救貧税が重いという一般的印象を統計的に証明した。
 彼の貧困観は、「貧困は道徳的罪悪」であるというものであり、限られた範囲の貧民のみ「貧民の雇用」を実施すれば良いと考えていた。報告書で彼は、貧困の原因を「規律の弛緩と道徳の堕落」と述べた。彼の出した対策案は承認されなかったが、議会は「貧民労働の搾取を目的とした労役場」の建設を提案した。

〈労役場について〉
18世紀初頭、労役場 work house が建設された。救貧法では、①浮浪の禁止と②無能力者の保護を行っていた。
  ①浮浪の禁止→懲治監 house of correction
  ②無能力者の保護→救貧院 poor house
これらの施設で貧民を働かせたことから労役場と言われる。
 労役場は結果として経済的には失敗であった。院外救済よりも、一人あたりの費用が高くついたためである。しかし一方で救済抑制効果が見られた。つまり、労役場の設置により、労役場への収容を貧民が嫌い、その結果救済への要求が急激に低下したのである。ジョン・ケリーは偶然に労役場テストを発見した。その後は救済抑制するための貧民抑圧的理念のもと、労役場の建設がすすめられていく。
 1772年にはナッチブル法、別名労役場テスト法が制定され、労役場を貧民救済の抑制と労働意欲のテストとして用いる事を規定した。ナッチブル法の貧困観は悲観的であり懲罰的。労役場は「貧民の自由を束縛し、恐怖を与える施設」であり、救済申請の抑制をはかった。恐怖の館。このような非人道的行為は社会的批判を浴び、改正される。
  1814年法 一般貧民を、24時間を超えて監禁することを禁止
  1816年法 精神障害者を鎖または手錠をかけて監禁することを禁止
労役場による貧民雇用、3つの観点
  有能貧民の就業、貧困児童への就業教育、浮浪の禁止
貧民雇用の目的
  マニュファクチュア経営→利潤追求の手段として労役場マニュファクチュアが利用さ れた。

産業革命期の救貧施策〉
 この頃、フランスではフランス革命が起こり農民や労働者が自由を求めるようになっていく。それはイギリスにも伝搬し、イギリスは革命が起きないように労働者の貧困を放置するのではなく救済しようと考えた。そうして出来たのが1782年のギルバート法である。ギルバート法は、教区連合による行政区域の拡大と、行政の合理化と貧民処遇の改善を目的としたが達成はされなかった。しかし〈救貧行政の緩和〉と〈院外救済の拡大の契機〉となった。貧民抑圧的な1601年法からの最初の脱却である。

 その後、1795年には救貧施策の実験の1つとしてスピーナムランド制度があった。これは公的扶助の原初的形態といわれる制度である。実施はウイリアム・ヤング法による。同制度では、貧民救済の額をパンの価格と家族の規模によって決定し、賃金との差額補助を行うというものであった。しかし雇い主が労働者に低賃金を強いても、救貧税から補助されるということは実質雇い主への補助金であり、低賃金の恒常化や労働意欲の減退を招く結果となった。
 1802年には、工場法が労働者の初期性の克服や、近代的労働の創出を立法趣旨として制定された。当時は能力的平等主義であり、労働可能ならば大人や子ども、男女は関係無かった。そのために将来を担う存在である子どもや子どもを生む女性は、病気にかかったり死亡したりしていた。それは資本主義社会の順当な発展には有害であり、それを見直そうとした法律である。しかし、有効な工場監督制度を欠いたために、うまく機能しなかった。この頃、工場制度が資本主義社会の中心であり、その適切な規制なくしては社会の発展があり得ず、救貧行政と労働行政の分離が必要とされたことから、1802年の工場法は救貧法の解体の一歩と言える。
 そして1834年に新救貧法が制定される。本法では、資本主義に即応した救貧行政と以下3つの原則を定めた。
① 救済水準の統一処遇の原則
② 労役場制度の原則
③ 劣等処遇の原則
 ①〈救済水準の統一処遇の原則〉とは、中央集権的救貧行政の実施であり、②〈労役場制度の原則〉とは、→院外救済では有能貧民の自活への努力は奮い立たせることができないので、労役場への収容により労働を強制するというもの、③〈劣等処遇の原則〉とは、貧民の救済水準を、独立自活している労働者の最低の生活水準以下に抑えるというものである。
 これらの背景にあるのは、人間的救済を拒否し、むしろ貧困窮乏を個人の責任として、救済を自助の失敗に対する懲罰・見せしめとするような支配的思想であった。この時期はレッセ・フェール(自由放任主義)の全盛期である。

 友愛組合は労働者や農民の自発的な相互扶助組織として発展した。友愛組合法の完成は1875年ローズ法であり、友愛組合は法律上の根拠を得た。立法の趣旨は、貧民の相互扶助を奨励し中産階級の救貧税負担を軽減することにあったら、目的は達成されなかった。それは、友愛組合が、立法の意図したような、被救済貧民やそのボーダー層が組合費を拠出できず、これらも人々を組織しえなかったからである。
 友愛組合の通常の目的は、「疾病手当」「老齢年金」「死亡保険」の給付であり、その後1875年には「医療の現物給付」も行うようになった。1871年労働組合法は、組合に合法的地位を与え、ストライキ共謀罪から除外、労使の法的平等の立場を確認した。


 19世紀後半には、牧師ソリーが慈善活動の統一の必要性を説き、それをきっかけにして1869年にCOS:Charity Organization Society 慈善組織化協会が結成される。慈善活動の組織化は、無秩序な各種慈善団体の活動を相互調整し、ケースワークの有効性を高めた。しかし、COS最高指導者であるチャールズロックの貧困観は「自助によって解決できない貧困はない」という貧困を個人の道徳責任とする立場であり、そこにCOSの限界があったと言える。

 19世紀後半には、権利意識を与えがちな公的救済に対して、与える側の自発性・恣意性に依存する慈善事業の方が自助の気風を損なわないとするマルサスの『人口論 第二版』などに代表される貧困観のもとで、慈善事業組織化がはかられていく。
 この頃から知識階級が貧困に関心を持ち始め、彼らが貧民窟に住み込み教育を行う事で貧困の循環から解放しようとするソーシャルセツルメント運動が始まる。アーノルド・トインビーが有名である。


社会保障へのあゆみ】

〈社会問題の発見〉
 1886年ロンドンのトラファルガー広場でデモに参加していた失業者が暴徒と化して、失業救済事業を政府に要求した。チェンバレンは、「失業は個人の道徳の欠如や怠惰の結果ではなく、社会の問題である」という考えを政府見解として公式に認め、失業救済事業をおこなった。これは社会保障が対象とする社会問題の発見であった。
 社会保障が対象とするのは、生活過程に起こる社会問題(生活問題)である。具体的には失業、疾病、貧困、障害、退職、介護など。

〈ブースとラウントリー〉
 チャールズ・ブースとシーボーム・ラウントリーによる貧困調査により、世界1の工業国家であり繁栄を続けていた資本主義国イギリス社会の下層では、人口の約10%が最低生活以下の生活をし、30%までが貧困であるという事実を浮き彫りにした。ちなみにブースはロンドンで貧困調査を行った。ラウントリーはヨーク市で理論生計費方式を利用した客観的方法でおこなった。
 大量の貧困の発見は、生活問題に対して慈善事業や相互扶助では解決できないことを認識させ、国家政策による制度的対応の必要性を迫るものであった。

社会保障の内在的・外在的条件〉
 労働者は封建制社会の崩壊によって、「自由」を獲得した。産業革命を経て、家内制手工業から工場制大工業に移行し、工場で働く大量の労働者は、共同して働くことで自らのおかれている労働条件や生活条件を共有し、その窮状を訴える共同の力を獲得した。これが社会保障成立の内在的条件である。また国民が主体となる民主主義の土台も確立された。外在的条件として、社会主義国ソビエトの存在がある。ソ連では失業保険と疾病保険実施した。そして大恐慌による影響を殆ど受けることなく労働者保険の維持が可能であった。この2つは資本主義国家の労働者にとっては労働者運動を強化する好機となるため、資本主義国では社会保障制度を成立させることで、労働者の社会主義化を防がなくてはならなかった。これが外在的条件である。

〈ドイツ〉
 ドイツは後発の資本主義国であり、イギリスやフランスの影響を受けている。その中においては、資本家が力を持つ前に労働者が力を持っていて、労働者組織や社会主義運動が台頭する。しかし、前資本主義的、身分的—専制的原理—国王への中世と国家への中世、国王の保護と国家の保護—を基礎とする国家の新設を目指すビスマルクは労働者組織などを阻害要因と考え、社会主義者鎮圧法を制定する。しかしこれは失敗し、逆に社会主義運動を前進させてしまう。
 そこでビスマルクは「社会保障の反対給付として多くの労働者の『感謝と依存心』を受け取ろう」と考え、飴の政策として社会保険の制度化を図ったのである。1883年疾病保険法、1884年災害保険法、1889年老齢廃疾保険法を制定し、労働者の保険料拠出による互助を基本としつつ、国庫扶助を投入することで、資本主義経済発展のために、国民の体制内化を意図した社会保険を成立させた。危険の分散化・協同化のための社会化である。

第二次世界大戦後の社会保障の発展〉
 第二次世界大戦後の社会保障の発展には労働組合が大きく関わる。1953年世界労働組合連盟は「社会保障綱領」を採択した。
 社会保障が政策として確立したのは、1929年以降の世界大恐慌がきっかけである。資本主義の順当の発展のためには、社会主義国にも劣らない生活保障制度の確立が必要とされた。このような社会保障の原初形態を「支配としての社会保障」と呼ぶ。

鄯「支配としての社会保障」は、体制内化としての社会保障。対社会主義
鄱「政策としての社会保障」は、具体的な制度としてあらわれる社会保障である。支配としての社会保障と権利としての社会保障の間にあって運動主体である国民と政策主体である国家の力関係によって揺れ動く。
鄴「権利としての社会保障」は、国民が基本的人権を基本に据えた生活問題の克服を目指 す社会保障である。

〈子どもの権利〉の歴史的変遷

1.前史 エレン・ケイ「児童の世紀」1900年
 「20世紀は子どもの世紀である」子ども中心主義を唱えた。
 エレン・ケイはスウェーデンの女性。児童の権利の歩みが始まる。

 イギリス、世界児童憲章草案 1922年

2.国連子どもの権利に関するジュネーブ宣言 1924年
 人類が(大人が)子どもを守り、育てる義務があるという〈受動的権利〉を認めた。

3.児童福祉法の制定 1947年

4.児童憲章の制定 1951年

5.国連児童の権利宣言 1959年
 無差別、平等の原則「すべての児童は…」
 ジュネーブ宣言を発展させた形で、子どもを権利行使の主体者として承認した。
 →〈能動的権利〉

6.国連児童の権利条約 1989年
 条約→批准したら、法的な根拠となり、守らないと罰せられる。
 児童の意思表明権を初めて盛り込んだ。
 日本は1994年に批准したが、国内法である児童福祉法を改正しなかった。
 子どもを1人の人格を持った人間として尊重する。
 子どもを保護の対象だけでなく、権利行使の主体として市民としての権利を認め、
 締結国に対して法的拘束力を持つ条約の形で結実させた。

 

『異常とは何か』

異常とは何か (講談社現代新書)

異常とは何か (講談社現代新書)

人間精神の歴史をたどり、精神医学を根底から問い直す
〈正常〉と〈異常〉の境界はどこか?

〈異常〉と〈正常〉はメビウスの輪のような捻れた関係である。
どちらが正常とも異常ともいえない形で連続し、
一方が表に出て他方が裏手に回るという構造を持つ。
表と裏は流動的であり、表を正常とするのか、裏を異常とするのかは任意。
表の延長が裏になり、裏の延長が表になる。


〈異常〉とは何か。それは正常の対極として説明可能なものなのか。
〈異常〉と〈正常〉の倒置、2つの反転が起こった歴史と価値観の反転。
精神医学と〈異常〉の関わり。自殺者3万人、うつ病を持った人の数の増加…
私たちは知らぬ間に医学や製薬会社により異常とされているのかもしれない。
正常の過剰態の異常…私たちの日常は果たして正常なのだろうか。
何が異常なのだろうか。
正常と異常のトポロジー
アウシュビッツは異常なのか…とても興味深い。
では、正常とは何だろうか。

『社会福祉学の〈科学性〉 ソーシャルワーカーは専門職か?』


知識の体系化と技術の〈科学〉化によって、理想は実現するはずだった。
フロイト理論からEBMまでー専門職としての認知とそれを保障する学問としての〈科学〉性を求め、社会福祉はどのような歴史を辿り、そして今どこへ向かおうとしているのか。
社会福祉学をめぐる科学・物語・政治

※注意※
書評でもなんでもなく、思いつくままに羅列してるだけです。

医者をモデルにして科学化の道のりを歩んできた社会福祉学ソーシャルワーク理論。
その後の科学化の終焉。反専門職主義の中、ソーシャルワーカーは批判された。
専門家による介入への批判。
介入しなければ批判され、介入しても批判されるソーシャルワーカーの歴史。
反省的学問理論。おのれに向けられた批判を内面化することで、正当性を保つ学問。
ポストモダンソーシャルワーク

現在のソーシャルワーク理論。医学モデルと二分化された理論モデル。
一方には反省的学問理論を、もう一方にはデータに基づく権限を持って実践に臨んでいる。
実践モデルの二分化。ハートマンは閾値を設定した。
ソーシャルワーカーが専門家としての役割を降り、クライエントと対等な関係の中、
ナラティブと経験を有効にすべき一方で、専門知や権限は捨ててはいけない。
反社会的と定義される行為には阻止もしくは防止するように介入しなくてはならないから。

最後に著者があげるのは、パールマンの立てた問。

人間の基本的な社会的・経済的・心理的ニードを充足するに足る資源が
不足もしくは欠如している状態において、はたしてケースワークは効果的でありうるのか


ーーー
海外の学問を「社会福祉学」とするのに、ちょっとどうなの?感はあった。
日本特有の学問名称を海外のものにあてると、分かりづらくなる。
三島自身が言ってる通り、本書で語られた事から先は具体的で細やかな議論が必要になる。
それは僕自身、ひっかかることは沢山あった。
社会福祉学の〈科学〉性に関しては疑問がかなり残った。
良い本だとは思います。

『ソーシャルワーク理論入門』

[rakuten:neowing-r:10376924:detail]

A Brief Introduction to Social Work Theory

A Brief Introduction to Social Work Theory

英語も読みやすく簡潔に書かれている。
今読んでる途中。夏期休暇中に読み終えようかなと。
邦訳は積読状態なので、わからん。

Contents

Acknowledgements
1 Social Work Theory
2 Origins
3 Casework and Social Reform
4 Cause and Function
5 Psychoanalytic Theory
6 Attachment Theory
7 Behavioural Therapies
8 Cognitive Therapies
9 Cognitive-behavioural Social Work
10 Task-centred Work
11 Be Responsible, Think Positive
12 Solution-focused Approaches
13 The Strengths Perspective
14 Systemic and Ecological Approaches
15 Radical Social Work
16 Critical Social Work
17 Feminist Social Work
18 Anti-oppressive Practices and Empowerment
19 Relationship-based Social Work
20 Person-centred Approaches
21 Reflection and Reflexivity
22 Wellbeing
23 Brains for Social Workers
24 Critical Best Practice
25 The Best in Theory

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